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コロンビア:シウダーペルディーダ
       (シエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタ国立公園)(2008年7月)
Colombia : Ciudad Perdida
        (Parque National Sierra Nevada de Santa Marta) (07/2008)
(地図は右のルートマップを参照)

トレッキング1~3日目。



colombia-ロストシティ



カルタヘナ観光は一旦置いといて、サンタマルタへ移動。

そこからシウダーペルディーダ(スペイン語で「失われた都市」)

通称:ロストシティ(The Lost City)へ。



この遺跡は発見されてからまだ四半世紀ほどしか経っていない。、

11~14世紀にかけて先住民タイロナによってつくられた山岳都市の遺跡。



スペイン人の侵略によりタイロナの人々はこの都市から姿を消したため、

テユナと呼ばれたこの都市は、

征服者であるスペイン人により「失われた都市」となってしまった。



交通網が整備されていない山の奥にあるため、歩いて行くしか手段がない。

もしくはヘリコプター。。。

個人では行くことができないので(確か…)、サンタマルタからツアーに参加する。

5泊6日。オールインクルード。

食料もテントも持たなくて良し。

身軽なのが嬉しい。






ロストシティに向けて出発。

colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ

遺跡に到着するまで3日。

この緑豊かな山を奥へ奥へひたすら進むことになる。

1日目は緩やかなUpDownを繰り返し、キャンプ地へ向かう。






歩いていると前方に緑色の線が見える。

よく見るとそれは葉っぱの行列。

「ハキリアリ」

植物の葉を切りとって巣にもちかえり、

その葉の上で菌類を育てる習性がある、中南米に生息するアリ。

colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ






colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ

1日目の晩御飯。



colombia-ロストシティ

蚊帳付きハンモックなので、自然の中でも安心して夜を過ごせる。



colombia-ロストシティ

起きるとコーヒーorココアのサービス。

そして朝食。

自分で作るのもいいけど、

作ってもらうのも何が出てくるのかが楽しみなので、

これまた良し。






colombia-ロストシティ

2日目もひたすら奥へと進んでいく。

最初は1日目と同様、周りの山々を眺めながら進んでいく。



colombia-ロストシティ

次第に視界は木々に遮られるようになり、

木々の間を抜けて進んでいくようになる。



進むにつれて天気が崩れてきた。

このあたりは一年を通じて、ほとんどが雨季。

午前中は晴れていても、昼頃から雨が降り始める。



colombia-ロストシティ

タイロナ族の集落



colombia-ロストシティ

雨宿りをさせてもらう。

雨脚が弱まってきたところで出発。






colombia-ロストシティ

キャンプ地に着き、遅めの昼食。

雨に打たれ冷え切った体には、この温まるスープが何より。

体を温め、疲れた体をハンモックに委ね、しばし休息。



1日に歩くのは5時間前後。

さほど大変でもなく、割とゆったりとしたペース。

まあ雨だと余計に疲れるけど…



colombia-ロストシティ

そして自動的に夕食。持参したワインと共に。






3日目。

天気は快晴。

午前中はまず間違いなく晴れる。

colonbia-ロストシティ



colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ

休憩。スイカで水分補給。

休憩のたびに、フルーツやらチョコやら飴やら出てきて、もう至れり尽くせり。



colombia-ロストシティ

ガイドとタイロナの人々



colombia-ロストシティ






さらに奥へ進む。

colonbia-ロストシティ



colombia-ロストシティ

やがて川を渡り始める。



colombia-ロストシティ

川を渡ること8回。



colonbia-ロストシティ

ついにテユナへの入口に到着。



colombia-ロストシティ

まずは1200段、苔に覆われた石の階段を上る。



colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ

第一の住居跡群に到着。



colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ

さらに800段ほど上がる。


colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ

かつての都市の中心部に到着。



3日目はここから少し奥に入ったところでキャンプとなる。

[続きは後ほど]



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2008.12.03 Wed l 22:南米:コロンビア l COM(0) TB(0) l top ▲
コロンビア:シウダーペルディーダ
      (シエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタ国立公園)(2008年7月)
Colombia : Ciudad Perdida
      (Parque National Sierra Nevada de Santa Marta) (07/2008)
(地図は右のルートマップを参照)

トレッキング4~6日目。



colombia-ロストシティ






トレッキング4日目

colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ

朝食はエンパナーダ






colombia-ロストシティ

住居の配置図。

地形に逆らうことない自然な住居配置。



colombia-ロストシティ

尾根沿いに土台が築かれている。

ここは公共の場。

他の住居群と違い、ここからの視界は開けており、

この都市を囲む山々を見渡すことが出来る。



colombia-ロストシティ

日常・非日常を問わず、ここで様々なドラマが演じられていたのだろう。



colombia-ロストシティ

テユナにおける基本構造。

土台同士が隣接、もしくは道で繋がっているのだが、

土台を渡り歩いても行けるし、そこを通らずに次の土台に行くこともできる。

そしてその道も直線ではなく変化に富んでいる。



colombia-ロストシティ

基本的に土台一つに対して家が一軒建っていた。

そしてその家の脇には木が一本。

樹木は風雨や強烈な日差しなど、自然の驚異から身を護ってくれる存在。

それゆえ、木を植え、それに寄り添うように家を建てたのではないだろうか。。。

いまでは家がなくなり、木がひっそりと佇んでいるだけだが。



colombia-ロストシティ

その佇んでいる木も、こうして土台からすくっと伸びている姿を見ると、

ある種の存在感のようなものを感じる。

土台によりそれを与えられている。



colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ

階段も通る人がいなくなり、苔や草花で覆われている。

このような人工物も、長い年月を経て、もはや自然の一部と化している。



大地に溶け込み、大地そのものになってゆく。



colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ






colombia-ロストシティ

このような住居が昔は並んでいた。



colombia-ロストシティ

不思議な年輪。



colombia-ロストシティ

牢屋として使われていたらしい。






colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ

豊かな経路、地形を活かしたつくり、

ここに新たな地形が生まれている。



手付かずの自然ももちろん素晴らしいが、

このように人間の手が加わり、

人間の営みを読み取れる風景といったものにも強く惹かれる。



これは自然の地形の潜在力を可視化しているようでもある。






colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ

この遺跡を守るために(ゲリラから???)兵士がたくさんいる。

まぁでもトランプしたり、うちらの宿泊所に遊びにきたり、

ヒマを持て余してる。

だからせっかく物思いに耽っていても、

すぐに話しかけられ邪魔されてしまう…

フレンドリーなのは嬉しいけど。。。



colombia-ロストシティ

そうこうしてるうちに日も暮れ、4日目が終わった。






5日目。

colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ



colombia-ロストシティ

2日目・3日目と来たルートを1日で引き返す。



colombia-ロストシティ



お決まりのような午後からの雨で大変だったけど、無事到着。

colombia-ロストシティ






6日目。

1日目と同じルート引き返し、ロストシティツアーは終了した。






この遺跡は日本人にはあまり知られてはいない。

(コロンビア自体に来る人もそう多くないし、

 来てもじっくりまわらず通過する人が多いから)



ここは大多数の人がある程度満足できるような類の遺跡ではないだろう。

マチュピチュのように。

何が残っているわけでもない。

土台が残っているだけのようなものである。

修復されているわけでもないし。



また写真で切り取った場面が素晴らしいかというと、

決してそうではないだろう。

実際にここに身をおいて、

移り変わるシークエンスを楽しむようなものでもある。

だからここの魅力を伝えるのは困難でもある。



遺跡の楽しみ方も人それぞれ。

個人的には、

この廃墟感といい、

次第に大地そのものになっていく美の過程といい、

南米における最上級の遺跡のひとつだと思う。



最後にひと言。

蚊が多いので、虫除け対策はバッチリと。

2008.12.04 Thu l 22:南米:コロンビア l COM(0) TB(0) l top ▲
コロンビア:サンタマルタ & タイロナ国立公園(2008年7月)
Colombia : Santa Marta & Parque National Tayrona (07/2008)
(地図は右のルートマップを参照)



colombia-タイロナ






ロストシティツアーからサンタマルタの町に帰ってきた。

ちょうど何かの祭りかの日だったのか、

海岸沿いの広場には多くの人が繰り出していた。



colombia-タイロナ

ここはコロンビア。

と言えば、流れている音楽は、サルサ!!

そこら中で踊ってるわ。



ん、でもよく見ると、

大抵の人は体をくっつけてリズムに乗って足踏み(?ステップ)をするだけ。

きちんと(?)踊っている人はほとんどいない。

ん~、サルサの国、

とりあえず第一印象はそれほどでもないぞ…



そういえば中には3拍子の音楽もあったけど、

みんな平気で同じように踊ってたな…



途中から花火も打ち上げられて、いい感じになってきた。

と思ったのも束の間、

今度はロケット花火が水平に飛んできた。

colombia-タイロナ



さらにこんな凄いのも。

colombia-タイロナ

みんなキャーキャーいいながら楽しんでる。

うんうん、これは楽しかった。





ロストシティトレッキングでの疲れを癒すには、

ビーチでのんびりするのが一番。

ここサンタマルタはカリブ海に面した町。

colombia-タイロナ

カルタヘナの海とは違い、

海もそこそこきれいだから、ここでもまあ良かったけど、

「楽園」

と噂されるタイロナ国立公園に行くことにした。



乗り合いタクシーで公園の入口からもう少し奥まった所まで行き、

あとは徒歩。

colombia-タイロナ

海岸に行くにはジャングルの中を歩かなくてはならない。



歩くこと数十分、とりあえず海岸に到着。

しかしここは波が高く、雰囲気もさほどではなかったため、

さらに奥まで行くことにする。



colombia-タイロナ



colombia-タイロナ



colombia-タイロナ

ついに「楽園」と呼ばれるカボ・サン・フアンに到着。



colombia-タイロナ



colombia-タイロナ



colombia-タイロナ

確かに悪くない、いいところだ。

海もなかなかキレイだし、椰子の木もいい感じだし、



しかし、



楽園というのはちょっと大袈裟過ぎないか…



まあいい。

とりあえずビールだ。



砂浜に寝そべり、

波の音を聞いたり、本を読んだりして、

思い思いの時間を過ごす。



colombia-タイロナ



ハンモックの心地よい揺れと、

波の音が調度良いバックグラウンドミュージックとなって、

気持ちよく寝ることが出来た。

そういえば蚊もいなかったなぁ。






colombia-タイロナ

朝焼け。ホントにこんな色だった。

ハンモックが気持ちよいので二度寝。



colombia-タイロナ



時間が経つにつれ、ここの良さが身に染みてきて、

次第に楽園と呼ばれることに納得してきた。

colombia-タイロナ

決して多すぎない、適度な人。

余計な音がなく、波の音と風の音が心地よい。

ハンモックの心地よさ。

あとは…



……

………

う~ん言葉では上手く表現できない…

けど、帰るころには連れと口を揃えてこう言っていた。



colombia-タイロナ



「楽園だね~」

2008.12.07 Sun l 22:南米:コロンビア l COM(0) TB(0) l top ▲
コロンビア:カルタヘナ(2008年7・8月)
Colombia : Cartagena (07~08/2008)
(地図は右のルートマップを参照)



colombia-カルタヘナ






城壁に囲まれた植民地時代の面影を色濃く残す町、カルタヘナ。

1533年、スペインによって町が築かれると、

南米各地から物産を運び出す絶好の港として短期間のうちに大きく発展した。



colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ

いまでは大砲もひとつのオブジェ。


colombia-カルタヘナ

城壁内部も様々な使われ方をしている。ここはカフェ。






colombia-カルタヘナ

カリブ海に面した町とはいえ、海はそれほど綺麗でもないので、

カルタヘナの魅力はやはり町にあると言っていいだろう。






輸出によりもたらされた富により繁栄した遺産を保存しうまく活用している。

城壁に囲まれた旧市街は世界遺産にも指定されている。

colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ






残された遺産にさらに魅力を付け加え、街歩きを楽しませてくれる。

colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ






アジアっぽさを感じられる活気のある場所も往々にして見られる。

雑多性もカルタヘナの魅力だろう。

colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ






住宅街でも、昔からの習慣なのか町の協定があるのか分からないが、

色鮮やかな花や木々が通りに彩を与える。

colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ






しかし、通りを歩いているだけではカルタヘナの魅力は十分に感じ取れない。

建物の中に入ってみると

暗闇の先に光り輝く空間が待ち受けている。

colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ

とは言っても、あまりいい写真がなかったから魅力は伝わりづらいけど。

それにほとんど中の写真を取れなかった…

普通の家とかが多いからね。

表とはまた別の世界があるから、

ここを訪れたらぜひいろんな建物の中に入ってみることをオススメします。






この美しい町を見ているとついつい忘れてしまいがちだが、

この美しさは南米の富と引き換えに手に入れたようなものである。

そして労働力としてアフリカから黒人が連れてこられた。



colombia-カルタヘナ



colombia-カルタヘナ

彼らがどのような思いで踊っているのかは分からないが、
(チップを得るため、それとも単に踊るのが好きだから、それとも???)

現在でも相対的に黒人の地位は低い。

町中でも仕事にあぶれている人や、苦労している姿を見かける。






colombia-カルタヘナ



植民地としての歴史の両面が今に残る町カルタヘナ。



colombia-カルタヘナ



またここは中米と南米の結節点でもある。

パナマとコロンビアは陸路では渡ることが出来ないため、

パナマから飛行機やヨットで渡らなければならない。

その玄関口がここ。



南米が終わったら中米・北米と行くので、

いずれここには帰ってくることになるだろう。

その時はヨットでカリブ海を渡りパナマへ!!

楽しみだ。



colombia-カルタヘナ


2008.12.10 Wed l 22:南米:コロンビア l COM(2) TB(0) l top ▲
コロンビア:メデジン(2008年8月)
Colombia : Medellin (08/2008)
(地図は右のルートマップを参照)



カルタヘナから夜行バスでメデジンへ。

かつては世界3大凶悪都市として名を馳せたコロンビアの大都市。

正直、旅立つ前は情報が少なかったから、

「コロンビア=怖い&美人が多い」というくらいしか印象がなかった。

ちなみに現在ではそれほど怖いところではない。



午前4時。

バスがターミナルに滑りこんだ。

寝ぼけ眼でバスを降りると、

そこはオレンジ色の灯りで包まれていた。

その光景に一気に目が覚めた。

メデジンは盆地にある町なので、下からは山の斜面の街灯がよく見える。

colombia-メデジン

これは上から撮った夜景。

これを下から見上げたところを想像してみて下さいな。






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メデジンの中心部と、その奥に拡張した住宅街。



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新興の住宅街。この辺りは金持ちのエリア。



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山の斜面に建てられた住宅群。

ここに走っているロープーウェーは公共の交通機関。

これを使って山の上の方まで行ける(山頂に駅はないけど)



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みんな同じレンガ素材で色も同じだけど、

家の向きが多様で立体に重なっているので、表情豊か。



colombia-メデジン

このあたりは不法に占拠したスラムかなぁ。

こういうところは南米の大都市なら大抵見られる。

ブラジルのリオ・デ・ジャネイロのファベイラは有名。



それにしても町を上から眺められるって凄く気持ちいい。

それもこんな間近で(これらの写真はズームなし)

見られる方はそんな気分良くないかもしれないけど…






colombia-メデジン



colombia-メデジン



colombia-メデジン

ここら辺が町の中心。雰囲気がいいんだか悪いんだか、

でも昼間はどこでも雰囲気の悪さはさほど感じない。

で、街行く人を見ていても、それほど美人の町と印象を受けない。



そう、メデジンは美人の町として有名。



コロンビアといえば、

南米のABC(Argentina, Brazil, Colombia)

中南米の3C(Costarica, Chile, Colombia)

と言われるように美人が多いことで有名。



そしてコロンビアの中でも

メデジンがあるアンティオ県は小柄な美人が多く、

南部のカリを中心とした辺りには大柄(?)な美人が多いとの噂。



これまでコロンビア内をまわってきた感じでは、

特にそれを実感するようなことはなかった。

メデジンでも日中の町中では、

それほど「ハッ」とするような人には出会えていない。



さてさて、な~んか陳腐なタイトルをつけちゃったけど、

ついにメデジンでもの凄い光景を目の当たりにしてしまった。



ある夜、泊まってるホステルのみんなで踊りに行こうということになった。

声を掛けてくれたのはホステルのスタッフの若い女の子(小柄で結構カワイイ)。

それにその子の友達その1(こちらもか~なりカワイイ&カッコイイ)

友達その2(めっっっちゃカワイイ)

それと、イギリス人、スイス人、イスラエル人、フランス人、

オーストラリア人、韓国人などなど多国籍軍の男女。



まずは軽く飲もうということで、若者が集まる公園に向かった。

「ZONA ROSA」と言って、お洒落な飲食店が集まるエリアがあるんだけど、

その一角にある「Parque el Poblado」と「Parque lleras」



中でも「Parque el Poblado」

ここは「この世の奇跡か?」

と思わせるほどだった。



金曜の夜、それにちょうどメデジンの花祭りの最中ということもあってか、

かなりの人出だった。

何組ものグループが佇み、行き交う。



どんな人が来てるのかなぁと思って見てみると、

そこに来ていた人の3分の2は、正直なところかなりカワイイorキレイ。

どんなに厳しく見積もっても、半分は「ぅお~」と唸らせるほど。

なんなんだ、このレベルの高さは!!

こんな光景みたことないぞ。

(あまりに興奮してたのか写真撮ってなかった…)



美人の町で、若い子が集まるとこういうことになるのか。

さすがだ。。。

でも歳をとるとそれほどでもなくなるということでもあるか…

まぁそこは触れないでおこう。

なにはともあれ、美人の町、大いに納得。



でも一番は一緒に踊りに行ったホステルのスタッフの友達の女の子。

ホント、めっっっっっちゃカワイイ、性格も良かった~



その後、その子と踊りを楽しんだのは言うまでもない。



でもスペイン語が不十分なため会話がさほど進展せず、

フランス人と仲良さそうにしているのを

(奴もスペイン語、それほど話せないんだけどなぁ。そこはフレンチの実力か)

韓国人と羨望の眼差しで見ていた、というのも言うまでもない…



「えっ? この子が?」って言われるのがコワイから写真は載せないけど(笑

2008.12.15 Mon l 22:南米:コロンビア l COM(4) TB(0) l top ▲
コロンビア:メデジン(2008年8月)
Colombia : Medellin (08/2008)
(地図は右のルートマップを参照)



またしても陳腐なタイトルをつけてしまった…



メデジン在住の人の家に遊びに行ったときに

どこに美人がいるのか?という話題になった。



それは



「大学だよ」






colombia-メデジン

ということで、やってきました。



colombia-メデジン

緑豊かなキャンパス。






colombia-メデジン

勉強してますねぇ。屋外にも机と椅子が。

太陽にあたって気持ち良さそう。



colombia-メデジン

寝てますねぇ。

それにしても廊下などの通路の幅がどこも広い。

だからこのように溜まっていても歩行者の邪魔にはならない。

それどころかいい溜まり場になっている。



colombia-メデジン



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どの校舎も外側に廊下がある。

水平線が強調され、シンプルだけど気持ちいい。

また、そこを行きかう人々、溜まっている人々が建物の装飾のような存在となり、

絶えず変化する風景を生み出している。

従って建物は簡素でも、時と状況により華やかにもなり、落ち着いたものにもなる。






colombia-メデジン



colombia-メデジン



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colombia-メデジン

至る所で人々の輪・群がみられ、そこでいろいろな話が交わされている。

勉強の話、遊びの話、いろいろ。



これを見ていて、これが大学だよなぁって思った。

大学は何も講義を聴きに行くだけのところではない。

仲間と議論をし、新たな「モノ」を生み出すところでもあるのだから。



シリコンバレーが、創造には

「Face to Face」の交流の場が必要、といって設けているように、

何かを生み出すきっかけは、何気ない会話などから生まれる場合も多い。



だから大学がそのような場所を多数設けているというのは、

何ら不思議なことではない。

というより、このようなキャンパスこそが理想ではないだろうか。

原石がこういう行為を通じて磨かれていく。



colombia-メデジン

回廊。ちょっとしたスペールにも机が置いてある。



colombia-メデジン

こんなところにも勉強机がある。



colombia-メデジン

このようにちょっとした所にも話せる場所が用意されている。



colombia-メデジン

いたるところで人々が溜まり会話をしている。






おっと閑話休題。

それで大学内に美人はいたかというと。。。



結果的には、Parque el Poblado(前回の記事参照)ほどではないけど、

いました、いました。



colombia-メデジン

右の子、かなりの美人です。



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もうちょっとアップにすると。



colombia-メデジン

右のグリーンのタンクトップの子、めちゃカワイイです。

それに左奥の座ってる子もめちゃカワイイです。



colombia-メデジン

あっ、シャッターチャンス逃した。。。

黒服の子、かわいかったなぁ。



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2人とも美人です。



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こちらの2人はより大人っぽさが出てます。



colombia-メデジン

先ほどの方々に負けず劣らず美人です。



なんでアップの写真がないかって?

そりゃ~、留学生が特に多いわけでもない大学内で、

東洋人がウロウロして、パシャパシャ写真撮ってたら怪しいでしょ。

って、カメラ構えてる時点で怪しいか…



それにこの日はメインカメラを持ってなかったし。



というかこの日は、最初違うところ行く予定で、

時間の都合で急遽行くことにしたから、サブカメラしか持ってなかったんだよねぇ。

望遠レンズのメインカメラがあればバッチリだったんだけど…



無念…

2008.12.25 Thu l 22:南米:コロンビア l COM(0) TB(0) l top ▲
コロンビア:メデジン、グアタペ、サンタフェ・デ・アンティオキア(2008年8月)
Colombia : Medellin, Guatape, Santa Fe de Antioquia (08/2008)
(地図は右のルートマップを参照)



colombia-メデジン






メデジンでは毎年一回、8月に花祭りが行われている。

およそ2週間に渡って開催されており、後半の1週間、いくつかの催し物を楽しんだ。



その中でもメインの行事でもある「シジェテロス」が世界的にも有名である。

といっても、日本にいるときはもちろん知らなかったし、

コロンビアに来て初めて知った…



シジェテロスとは、

たくさんの花で覆われた木の背負椅子(シジェタ)を担ぐ人のことを言い、

メデジンを中心としたアンティオキア地方の東部で受け継がれている伝統行事である。

元々は花卉農家がメデジンの市場で自分たちが作った花を売るために

担いできたことが始まりだと言われている。

農家の人が花を担いで山からメデジンの町に下りてくる様子に人々がひきつけられるようになり、

1957年にメデジンの街中を練り歩くパレードとして開催されるようになった。



colombia-メデジン

花祭りのメインの行事なので、かなりの人出。



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パレードが始まった。



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民族衣装を着て、クンビアの音楽にのって踊るとき、

女性はスカートのはしを両手で持ってひらひらさせる。



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民族衣装は清潔感があり華やかで見事。



colombia-メデジン

中にはこんなやつもいたが…




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そして担ぎ手の行進。



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何十キロもあり、かなり大変。



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でも、みんな楽しんで満足しているようで、表情がいい。



colombia-メデジン

かなり凝ったつくり。もちろん全部生花。



colombia-メデジン



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詳細はというと。。。



colombia-メデジン

ぎっしり花で埋められている。



全部でおよそ3時間にもおよぶパレードだった。

これでも昔に比べると短縮されたようである。



コロンビアは世界でもトップクラスの切花生産国である。

日本の母の日の前には、カーネーションの出荷でかなり大変らしい。。。



結構楽しかったけど、

祭りはやっぱり参加するか、開催する側にまわらないとなぁ。。。






メデジンの近郊の町にも訪れてみた。

サンタフェ・デ・アンティオキア。

colombia-メデジン

長閑な町。こののんびりとした空気はやっぱいい。

リラックスできる。



colombia-メデジン



colombia-メデジン



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そんな雰囲気をつくっているのは、町の人の振る舞いのせいかな。



colombia-メデジン



colombia-メデジン






そしてグアタペ。

colombia-メデジン

グアタペの町の手前にある、一枚岩、

その名も、







……



………



なんだっけ…



まあいいや。

有名な?ブラジルのペドラ・ピンターダにひけをとらない大きさ。

ペドラ・ピンターダを知らない人は「藤岡弘、探検隊!!」を参照。

まあエアーズロックには全然かなわない大きさだが。



っていうかペドラ・ピンターダもエアーズロックも見たことないんだけど…

まあいいや。

colombia-メデジン

裂け目のところに階段がとりつけられている。



上からの眺めは爽快。

colombia-メデジン

湖の中に島が点在していて、それらが橋で繋がっている。



colombia-メデジン






グアタペの町の家々には、

colombia-メデジン

壁面の下部に装飾がある。



colombia-メデジン



colombia-メデジン



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colombia-メデジン

どういう意図で行っているのか分からないけど、

散策を楽しいものにしてくれた。

2008.12.30 Tue l 22:南米:コロンビア l COM(0) TB(0) l top ▲
イスラエルのガザ空爆。



ここまでのことをするからには、それなりの理由もあるのだろう。

複雑な歴史・思惑が重なり合い、その原因を究明するのは困難なことだろう。



しかしこのような事態になり、被害を被るのは市民である。



国連事務総長は、

イスラエルの自衛権は認めるとしながらも、空爆が「度を越したもの」との見方を示し、

そのうえで「周辺地域や国際社会の指導者は(事態収拾のため)十分なことをしていない」

と不満をもらしたそうである。



そんな政治家たちを選んだのは我々だ。

その対応に対して我々にも責任があるのではないだろうか。



日本でもデモが行われたようだが、

多くの人たちは、遠くの世界で起こっている、

非現実のような出来事と思っているかもしれない。



アフリカのルワンダで起きた内紛による大虐殺をテーマにした映画『ホテル・ルワンダ』で、

「誰も助けには来ないよ。みんなテレビを見て、怖いねって言ってディナーを続けるんだ。」

というセリフがある。

まさにそんな感じだろう。



自分もかつてはそうだった。

いや、今でもそういう気持ちが心のどこかに潜んでいるだろう。



このような社会風潮をつくっているのも我々だ。

ひとりひとりの考えが集まり、その時代・社会の風潮をつくる。



訪れたことがある人なら分かるだろうけど、

日本ではマイナスのイメージが多いイスラム世界も、

特殊でも何でもない、普通の世界である。

もちろん文化は違うが、そういうことではない。

もっと根本の次元での話しだ。



イスラエルにはまだ行ったことがないけど、

何カ国かイスラムの国を周ったことがあるので、それを実感している。



そうは言うけど、

オレたちが行動を起こしても何も変わらないよ、

って。。。



でもそれでは何も始まらないし、変わらない。

少しずつでも、社会風潮を変化させていかなければならない。



これを読んで共感してくれた人は、

以下の文をコピーしてみんなに転送するなり、

ミクシィに載せるなりしてください。



これは友人が、イスラエルの日本人女性活動家に

「今、私にできることは?」と聞いたら

「以下の文を転送して、友達に回してください」との返答があった、

とのことです。



というわけで、よろしくお願いします。



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想像を絶する大量の死と破壊


サファ・ジューデー
エレクトロニック・インティファーダ/Live from Palestine
2008年12月27日


まもなく正午になるという時、最初の爆発音が聞こえた。私は窓に突進し
た。まだ窓の前に達せず、外の様子も見極められないでいるうちに、第二
の爆発が起こり、猛烈な爆風に押し戻された。しばし、何が起こったのか
わからなかったが、次の瞬間には、イスラエルが予告していたガザ地区に
対する大規模攻撃が始まったのだと思い至った。一昨日、イスラエルの
ツィピ・リヴニ外相が、エジプトのホスニー・ムバーラク大統領との会談
後に述べたことは、口先だけの脅しではなかったということだ。

引き続いて起こったことは、今でも、超現実世界の出来事としか思えな
い。こんなことは私たちの誰も想像していなかった。すべてがあまりにも
短時間のうちに起こった。現場にいた私にとってさえ、この大量の死と破
壊は想像を絶している。私は今も事態のまっただなかにいる。最初の攻撃
から、すでに数時間が経過した。

ガザ市への空爆で6か所が攻撃された。アメリカのニュース番組ではたぶ
ん、この映像は流されていないだろう。爆撃を受けた場所には死体の山が
できていた。映像を見ていると、何人か、まだ生きている若者がいるのが
わかった。手を上げる者、頭をもたげる者。でも、彼らもまもなく死んだ
はずだ。全身が焼けただれ、大半が手足を失っていた。腸がはみ出して垂
れ下がっている者もいた。全員がおびただしい血の海に転がっていた。

ガザで最も大きい2つの大学のすぐ近くにある私の家の前で、ミサイル
が、学生たち、大勢の若者が集まっている中に撃ち込まれた。学生たち
は、標的になりやすいから集団にならないようにと注意されてはいたが、
その時は帰宅するためにバスを待っているところだった。7人が死んだ。4
人は学生で、3人は近所の子供。レイエス家の少年たちで、とても仲のい
い3人だった。

これを書いている今、外を通っていく葬列の音が聞こえる。窓から覗いて
みると、レイエス家の3人の少年の葬列だった。生きている時、この3人は
いつも一緒だった。3人は一緒に死に、そして今また一緒に同じ葬列の中
にいる。3人が殺されたあと、14歳になる私の弟は家から飛び出して、路
上に横たわる友達の死体を確かめにいった。弟を止められるものはなかっ
た。その後、弟はひとことも言葉を発していない。

イスラエルの首相、エフード・オルメルトは、私たちガザ市民は敵ではな
い、標的はハマースとイスラーム聖戦だと言った。いったいどういうつも
りなのか。私たちを怒らせてショック状態から抜け出させてやろうという
のか? 怒りや報復の感情をなだめようというのか? 私たちをからかお
うというのか? 学校から帰る途中の、今は死者・負傷者となった大勢の
子供たちが、ハマースの武装メンバーだというのか? 最初の空爆から30
分ほどたったころ、帰宅中の3人の女の子が、通りの少し手前にある警備
隊司令本部の前を通りかかった。その時、司令本部にミサイルが撃ち込ま
れた。少女たちの体はバラバラに引きちぎられ、通りの端から端まで飛び
散った。

空爆されたすべての場所で、大勢の人が死体の間を歩き、自分の家族を見
つけてはこのうえないショックに襲われている。通りにも死体が、腕が、
脚が散らばっている。靴をはいている足、はいていない足。ガザ市全域が
恐怖とパニックと混乱に包まれている。携帯電話はつながらない。病院と
死体安置所は満杯状態で、いまだ通りに横たわったままの遺体もあり、そ
の遺体を家族が取り巻いて、顔にキスしたり、とりすがったりしている。
破壊されたビルの外では、年配の男たちが地べたに膝をつき、泣いてい
る。息子が働いていたビルの惨状をひとめ見たとたん、息子が生きている
かもしれないという一縷の望みも消え失せてしまったからだ。

遺体の身元が判明したのちも、医師たちは、バラバラの体を正しくつなぎ
合わせて家族のもとに返すという、たいへんな時間を過ごしている。病院
の廊下はまるで屠畜場だ。いかなる想像も及ばない、どんなホラー映画も
しのぐ光景。床は一面、血の海で、負傷者は壁にもたせかけられたり、死
んだ人と隣合わせで床に寝かされたりしている。医師たちは死にもの狂い
で治療にあたり、怪我をした者でも、命に別状がなければ、そのまま家に
帰される。私の親族もひとり、居間の窓が割れて飛んできたガラスの破片
で怪我をした。顔の中央付近が深く切れてしまったのだが、もっと緊急の
治療を必要とする人は限りなくいて、彼女は家に帰された。歯科医のご主
人が自分のクリニックに連れていき、局所麻酔をして顔の傷を縫った。

今日の空爆で200人を超える人が死んだ。つまり、200以上の葬儀が行なわ
れるということだ。今日、葬儀が行なわれたのはわずかで、たぶん、大半
が明日になるだろう。昨日、この家族たちはみな、食べ物と暖房と電気の
心配で頭がいっぱいだった。でも、と私は思う。この人たちも(実際には
私たち全員が)、こんなことが起こるのを絶対に阻止できていたというの
なら、この数か月間、私たちが必死に求めつづけてきた本当に基本的な生
活物資の供給をハマースがやめたとしても、喜んで受け入れていたはず
だ。

爆撃は私の家のすぐ近くで起こった。私の一族の大半がこのエリアで暮ら
している。私の家族は無事だったが、叔父たちの家が2軒、損傷を受け
た。

今日は静かに休めるだろう。ガザ市民は今夜、死んだ者たちを追悼するこ
とができるだろう。イスラエルは、当座、これ以上の空爆は行なわないと
約束したそうだから。だが、誰もが、標的を定めた次の殺戮のステップが
やってくると考えている。これが意味するのは、すでに完全に封鎖された
ガザで暮らす宿命を強いられている罪のない一般市民が、さらに大勢巻き
込まれるということなのだ。

・・・・・・

サファ・ジューデーは、アメリカのストーニー・ブルック大学で学び、修
士論文提出資格を得た。2007年9月にガザに戻り、現在はフリージャーナ
リストとして活動している。

"The amount of death and destruction is inconceivable"
Safa Joudeh writing from the occupied Gaza Strip, Live from
Palestine, 27 December 2008

原文:http://electronicintifada.net/v2/article10059.shtml
エレクトロニック・インティファーダ:
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2008.12.31 Wed l 00:未分類 l COM(1) TB(0) l top ▲
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