ペルー:チャチャポヤス(2009年6月)






チャチャポヤス。

このかわいらしい響きは、ケチュア語で「雲の上の人々が住む地」を意味する。

このあたりは雲霧林の地域である。

雲霧林とは、熱帯・亜熱帯地域の山地で霧・雲が多く

湿度の高い場所に発達する常緑樹林である。

世界でも珍しい生態系、最も生物多様性豊かな森である。



ペルーは西から東へ移動すると、海岸、高原、アンデス山脈、

そしてアマゾンと多様な気候が広がっている。

海岸部のチクラヨからアンデスを越えると、そこはアマゾンの気候。

だからチャチャポヤスは標高が2000mを越えているけれども、アマゾンの一部である。

高地だけど熱帯、気候的には屋久島のような感じである。

チャチャポヤスの町はその名のように雲霧林の上に位置している。






南米に到着してすぐにイースター島に行きモアイを見たのだが、

その頃、ペルー北部に偽モアイと呼ばれているものがあると聞いた。

チャチャポヤスに来た目的のひとつは、その偽モアイを見るため…



その偽モアイはカラヒア遺跡という。

カラヒアの語源は、カララハという鳥がこの周辺にたくさんいたからで、

カララハが転訛してカラヒア遺跡となった。



カラヒアに行く途中に「Pueblo De Los Muertos」というところに寄った。

「死者の村」みたいなところである。



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車を降りると壮大な風景が広がる。

チャチャポヤスの町から一旦谷まで降りて、また上って来た。

Pueblo De Los Muertosに向かって歩き始めるとすぐに、目に入ってきたものがあった。



ゴクタの滝。

ベネズエラのエンジェルフォール(979m)

南アフリカのチュンゲラフォール(948m)

に次ぐ771mの世界第三位の滝である。



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もう少しアップにすると、

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って、2段じゃん。。。

何かズルイ気がしなくもないが、確かに凄い。

でもこの時期は雨季も終わりの頃で水量が少ない。

行こうと思えば滝の真下まで行けるのだが、かなり歩くらしいので、パス…

遠くからでも見ることができたので、とりあえずよしとする。



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このあたりの山々はテーブルマウンテンのようでもあり、

べネスエラのギアナ高地に緑を多くしたような感じである。

垂直に切り立ったような迫力は若干劣るものの、この辺りの景色は圧巻である。



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Pueblo De Los Muertosはこの崖にへばりつくようにある村のようである。



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見上げればこんな感じで、このようなところにどのように村があるのか想像がつかない。



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まず目に入ったのは、崖の先の方にある土のつくりものである。

崖の裂け目に顔が付いた像のようなものがいくつも並んでいる。



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そしてついに到着。

崖にへばりつくように家の残骸のようなものが並んでいる。



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壁は崩れているが、一部部屋のようなところも残っている。



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部屋の中からは周りの山々が見渡せる。



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道はすぐ横は崖。一歩間違えれば即死だろう。



なぜこのようなところに村をつくったのだろうか。

部屋のようなものがあるから、単なる墓ではなさそうだ。






そして次はカラヒアへ。

畑の横を通り過ぎ、坂をしばらく下ると、目の前に深い谷が現れた。

その手前の岩壁の中ほどに、お目当ての偽モアイが6体並んでいた。

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2体の頭上には、シャレコウベが乗っている。

腹の部分には埋葬品と一緒に死者が入れられていたそうだ。

老若男女問わず、死んだらこうして祀られたという。



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偽モアイというか、モアイとは特に似てもいないような感じである。

顎を尖らせたこの像は様々な顔をしており、なかなかかわいいものである。

イースター島のモアイは部族闘争の末にほとんどが倒されてしまったが、

これらは墓なので、埋葬品の盗掘が後を絶たなかったようである。



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反対側から見るとこんな感じ。

Pueblo De Los Muertos同様、なぜこのように高い位置に墓がつくられたのだろうか。

これだと地に帰るというよりは、空を目指しているようでもある。

顔も何となく上を向いているようにも見える。

天へ。

魂は天へ昇る。

これはそのための天と地とを結ぶ役目をしているのかもしれない。



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ちょうど真ん中あたりに6体が並んでいるのが分かるだろうか。

カラヒアはモアイの偽者でもなく、ここならではの文化の証であった。

2009.11.03 Tue l 24:南米:ペルー l COM(2) TB(0) l top ▲

ペルー:チクラヨ(2009年6月)






ペルー北部の海岸沿いの砂漠地帯にあるオアシス都市チクラヨ。

この周辺にはモチェ、シカン、チムーといった文化が栄え、いまでも遺跡が残っている。

この北部海岸辺りでは、砂金を集め、固め、黄金の文化が続いた。

それらの博物館も充実しており、いくつか見て周った。






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これはとある埋葬の様子。

なぜか逆さにして埋葬されている。



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そしてこのように一緒に金の装飾品が置かれる。



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部落の中でも上に立つ人たちの絵。

頭の上に金の大きな装飾、体には金の装飾が施された防具。



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とにかく金が多く使われ、服や冠にもデザインが施されている。



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大きな金のピアス。





このように「飾る」のは何も体だけではない。

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町の壁面に絵を描かせている様子。



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こんなキャラをたくさん。



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生活で使う土器も同様に装飾が施されている。



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魚、カニ、人の顔、鳥、犬、アヒル?など、いろいろな土器がある。






人はなぜ装飾を施すのだろうか。

上の写真のように、大きなピアスや冠は、生活において絶対必要なものではないだろう。

権力の誇示、などの理由はあるにせよ。

動きづらいだろうし、戦闘用の防具だとしたらそこに金は使う必要はないだろうし。



土器にしても同様。

使う用途だけを考えれば、それに人の顔を描いたり、魚の顔をつけたりする必要性は感じない。



「装飾」とは、何かを加えることによりそのものの値打ちを引き立たせること。

だから必要ないといえば必要ない。



でも「装飾」という概念からは逃れられないのではないだろうか。

差別化を図るには、大抵は装飾で差をつけるのだろうし、

装飾をしない、ということは装飾を意識していることだし、

装飾をしないという装飾ともいえるし(人によってはそれが装飾に見える)、

「もの」というか「ものづくり」というか、それに関わると「装飾」というものと

関わらざるをえないだろう。



人には根源的に装飾をする動物なのだろう。

少しでもよりよく見せたいという願望が潜んでいるのだろう。

それは髪型にしても服装とかをとっても分かる。

まったく無頓着なひとも少しはいるかもしれないが、

程度の差こそあれ、それを意識しない人はいないだろう。



20世紀以前の支配者階層や裕福層は、服装においては装飾だらけの衣服を身に着けていた。

特にヨーロッパ。

アジアやアフリカでも、程度の差こそあれ同じだろう。

また小さな田舎の部族とかでも、それを意識していないことはないだろう。



必要最低限の要素、つまりそれに必要な機能だけを考える、機能主義。

でも機能的ということは装飾を廃することではないし、

装飾を廃すれば機能的ということでもないだろう。






何かこれを考えてると、メビウスの輪のような思考に陥っていく。。。



このことに関してはそのとき考えていたことをメモしていたのだけれども、

紛失してしまったので、うまくまとめられなくなってしまった。

まぁ結論とかはでなかったんだけど。

なので、今回の記事は、これ自体がメモ書きのようなものになってしまったけど、

ここで考えて止まってしまうと、このブログも先に進まないし、

とりあえず載せてみました。

(現在地と掛け離れてしまったから、更新を急がないと)



これはもういちどじっくりと考えないとなぁ。

2009.11.02 Mon l 24:南米:ペルー l COM(2) TB(0) l top ▲

ペルー:カハマルカ(2009年6月)






インカ帝国最後の皇帝アタワルパが、ここペルー北部を代表する都市カハマルカで

温泉に入っているときにスペイン人フランシスコ・ピサロに捕らえられた。

皇帝は幽閉された部屋で壁に線を引き、解放してもうことを条件に、

その線の高さまで金や銀を集めることを約束したが、

結局は処刑されてしまった。

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ここが幽閉されていた部屋。

写真の左上に印がある。



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こんな感じ。



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そんな歴史的に有名なこの町は、アンデス山脈の穏やかな山々に囲まれている。



これらの山の上にパンパが広がっているところがあり、

その一部に石の森と呼ばれているところがある。

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雨水による侵食や風化によって独特の表情を見せている。

長い年月を費やしてつくられた自然の造形。






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これはオトゥスコといって、紀元前1100年頃から紀元1200年頃まで、

穴のひとつひとつが墓として使用されていたらしい。

いまでは不思議な造形に見えるけど、

これも長年の侵食により少しずつ変化していった。



どちらも長年の風雨に耐え忍んできた姿ともいえよう。

ボロボロになりつつあるその姿には、

今後どうなっていくのか分からない儚さのようなものも秘めている感じで、

形の興味深さもさることながら、ある種の美しさをも感じる。






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さて、カハマルカはとても落ち着いた感じのする町である。



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町の中心のアルマス広場の周りでさえ、2階建ての住居群が並び、

教会以外にはこれといった建築も見当たらない。



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屋根はオレンジ色の瓦でほぼ統一されている。



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トルヒーヨとは異なり、家の壁面は白、もしくは白系統でまとめられている。



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屋根も壁面も風化により色あせ、歴史を感じさせる。

老朽化していると言ってしまえばそれまでだが、

あの岩々に感じたような思いにも共通するある種の美しさがあると思う。



新しいものにはない、歴史の味。



風化は長い年月の積み重ねがつくりだす意匠と言えるかもしれない。



町には多くの人が行き交い、ある程度賑わいもあるのだが、

風化した街並みが醸し出す雰囲気が、落ち着いた感じを与えているのだろう。

そんな街並みを歩くのは気持ちがいいし、

さらにこの町は気軽に立ち寄れる飲食店も多く、

(ちなみにこの町は乳製品で有名)

町の散策が楽しめるところだ。






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さてさて、そんな街歩きも楽しんで、その足で温泉へ。

アタワルパも度々足を運んだというインカの温泉。

海外の温泉はプール感覚なので、水着着用で温度もぬるく、

大体立ったまま入る感じのところがほとんど。

残念ながらこの露天風呂には浸かれないけど、

ここの温泉はなんと個室。

温度の調整も自在だし、座って入れるし、水着もつけなくていい。

ふぅ、やっぱ風呂はいいもんだ。






おまけ。

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教会で隠し撮りしたキリスト。

寝てるのか何か考えてるのか分からないけど、

こういうのがあってもいいよなぁ。

2009.10.28 Wed l 24:南米:ペルー l COM(0) TB(0) l top ▲
どもども。
アメリカ大陸を北上し、現在アラスカにいます。

誕生日のメールや、書き込みなどありがとうございます。
キャンプ生活が続き、ネット環境がなく返事ができませんでした。
数日後には町にもどるので、その際に返信します。

カナダ北部、アラスカの大自然は想像を越え素晴らしいものです。
そのことに関してはまた後日。

それでは。取り急ぎ連絡まで。
2009.09.12 Sat l 00:未分類 l COM(7) TB(0) l top ▲
ペルー:トルヒーヨ(2009年5月)
地図と現在地はこちら







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かつての旅とは違い、いまの時代の旅は、

事前に訪問地のイメージを何かしら抱いていることが多いだろう。

テレビで見たとか、小説の舞台だったとか、ガイドブックで読んだとか etc..

たまに情報がまったくない場所に訪れることもあるが、

事前に何かしら知っている場所を訪れることの方が多い。



さて、ワラスの次の訪問地トルヒーヨ。

ここは太陽のワカ、月のワカ、そしてチャンチャン遺跡といった歴史遺産が有名だが、

トルヒーヨの町のついては何も知らなかった。

しかしペルー観光局のパンフレットに掲載されていた一枚の写真に魅せられ、興味をもった。

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こんな感じの写真。

この町独自の建築的な意匠があり、

きっとこのようなファサードが続く街並みが広がっているのだろう、と

イメージが膨らんでいった。






宿を決め、まずは中心のアルマス広場に向かう。

途中、上の写真のような建物もいくつか目にして、期待感が高まる。



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広場を囲む建物。



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独特な窓の意匠にカラフルな壁面の家が並んでいる。

期待通りの光景だ。



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回りの建物の内部も興味深いところがあり、観光の出だしは快調だった。






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ちょっと余談だけど、

広場の広さ(面積)とそれを囲む建物の壁面の高さの比が悪く(低すぎ)、

それに広場と建物の間にも数車線の車道が走っていて、

広場特有の感覚の建物群に囲まれた感じがほとんどしない。

まあ空が広くよく見えるという利点はあるけど・・・






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もっと街並みを見ようと広場から離れてみると、

所々にこの町独自の建物はあるけど、老朽化していたりして、

この独自の意匠を尊重して使い続けているという感じがしない。



正直、観光局のパンフレットで見たような光景はアルマス広場のまわりだけだった。

そこは町の中心であり顔であり、旅行者などの外に対しての顔をもつ。

だからメンテナンスもするし、街並みの景観にも意識を払う。



でもそれが広場だけで、それ以外の場所にほとんどないとなると、

何だかつくられたような、一種のテーマパークのような感じもして、

あまり好感がもてるものではない。

それに事前にイメージを膨らませてしまったため、失望はより大きかった。



イメージを膨らませたのは自分の勝手だし、

失望が大きくなったのは誰のせいでもなく自分のせいだ。



ある町のあるがままの姿を見に来たのではなく、

自分の中に出来上がっていたイメージの姿を見に来たようなもの。

まだ知らない町の姿を見に来たのではなく、

イメージでつくりあげた町を確認しにきたようなもの。



旅の定義は人それぞれだろうけど、

これでは旅をしているというより、

自分の頭の中でしていた空想の旅をなぞるように、確認するように旅をしている、

といった方が適切かもしれない。



旅人の世界では、世界3大がっかり遺跡だとか、

そのような期待を裏切られたような話がある。

理由としては、有名な割りにしょぼいということもあるけど、

事前の文なり写真なりの情報から自分なりのイメージを作り上げ、

実際行ってみると、まったくそれに沿うようなものではなかった、

ということもあるだろう。



日本のガイドブックである「地球の歩き方」は写真が豊富で、

それを読むと、行きたいところの選択が容易にできる。

それに比べ、オーストラリアの、

というか世界中のパッカーが使う英語の「ロンリープラネット」は

写真をほとんど載せていない。

確か、実際に行ってから楽しめるようにとか、

そんな感じだったと思うけど、この編集意図はなかなかのものである。

でも、行く場所を決めるのは写真があった方が手っ取り早いし、

歩き方もロンプラも一長一短かなぁ。



ガイドブックももたず、適当に行きたいところに行くような旅は、

後で見所を逃したと知ると、とても悔しくなってしまうような、

割り切れない未熟な性格なので(笑)

そういう旅は難しい。

時間的にも大分余裕がないと難しいだろうし。

(いつかはそういう旅もしてみたいけど)



要は、事前にイメージをもっても、

それに囚われることなく、目の前に広がるあるがままの姿を

きちんと見ることが大事なのかな。






町の観光のあと、太陽のワカや月のワカ、チャンチャン遺跡といった、

いわゆる見所をまわり、最後に近郊のワンチャコ海岸に行ってみた。

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ここはトトラ船で有名なところ。



この辺りは赤道に近いといっても、太平洋側の海はフンボルト海流の影響で、

水が結構冷たい。

なので、特に海に入ることもなく、海岸をぶらついていた。



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こういうところを一人で歩いていると、

一人身の寂しさを感じ、いろいろ空想に耽ってしまう。

「あのコと一緒だったらなぁ」とか。

海辺で一人は辛いよ。。。

まわりはカップルや家族、友達同士で楽しくやってるのにね。



ある人と知り合って、その人が気になるような人だと、常に頭の隅にその存在が残る。

その後も一緒にいて、その人のことをより知ることができればいいのだが、

その後、なかなか出会う機会がないと、

その人のことを勝手に創造し、美化していく傾向にある。

で、まあしばらくぶりに再会したときにガッカリすることがあるんだけど…

でもそれはその人が悪いのではなく、自分の都合のいいように美化した自分が悪い。



時間のあるときに、ろくでもない空想物語を描いてしまうこともたまにある。

けど、そこの登場人物は自分が作り上げた(美化した)人。。

ある人をあるがままに見て、その結果、恋をするのではなく、

ある人を途中から勝手に作り上げて、

うまくいくまでをシュミレーションする。

何だかそういうことが結構好きなような。。。

ヒマ人だなぁ…



最近もそんなことを少々考えてて、

はぁ、そういや成長してないなぁ

と、浜辺をブラブラしながら思った。



そんな感じでまたひとつ年を重ねていく…

イカンイカン。



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このおやじのように、日々、目の前のモノ、現実のモノに向き合っていかないと、ね。

2009.08.30 Sun l 24:南米:ペルー l COM(5) TB(0) l top ▲